過去⇄未来
2016.9.17
お久しぶりになってしまいました。
自分の時間がたくさん出来たにも関わらず
時間がなかった頃にやりたかった色んなことを
後回しにして
ダラダラと時間を無駄に費やし
あっという間に夏は終わってしまいました。
そんなナマケモノのお尻を叩いて
今月はたくさんのセミナーに足を運び
多くのことを学びました。
と同時に、素敵な方々との出会いがあり
と同時に、その方々からの影響を全身で浴びて再び重い腰をあげることが出来ました。
ようやく自分の中の色んな思いが整理整頓出来てきたようです。笑。
ぶきっちょでもいい。自分のやりたかったことを自分なりに頑張ります。
って、誰に向けての誓いなんだかよくわかりませんが💦笑
今日は半袖の方や長袖の方が街を歩いていました!
ボーっとしてると時が過ぎるのがあっという間ですね。
あ…忙しくしている方のほうがあっという間かもしれません。
失礼致しましたm(__)m
ところで『栄養』って言葉はいつごろから広まったのでしょうか。
ずっとずずーっと過去に遡ると、
中国で648年に『栄養』は「孝養(親に孝を尽くすこと)」として用いられていました。
現在の『栄養』の意味に繋がっているものは、
李東垣(りとうえん)により1249年に『脾胃論(脾胃を内傷すると百病が生じる)』中国医学書で、『営養』と表記され、「身体を滋養する」という意味として用いられています。
日本は、というと、はじめは明治から大正にかけて「営養」という言葉で医学書に用いられていましたが、1918〜1920年に 『栄養』と定着したと言われています。
私の母校を創設してくださった
佐伯 矩 先生【さいき ただす】
(ここは先生といわせて頂きますm(__)m)が、定着させたと言われています。
先生は、医学から栄養学を独立させ、栄養研究所を1920年に創設(のちの佐伯栄養専門学校)、2年後に栄養士制度を発展させました。
『栄養』は、保健・経済・道徳の基本をなす。「栄養三輪」を唱えた方です。
北里柴三郎(予防医学の先駆者。)の元で細菌学を学んだあと、栄養学の研究をされてそうです。
栄養研究所が設立されたころは、
身体に栄養素をプラス。
足りない栄養素を補ってあげることで病気から回避されてきました。
たとえば「脚気」
ビタミンB1不足によるもの。
http://hfnet.nih.go.jp/contents/detail173.html
この病が蔓延してしまった時代。
栄養学が確立する前は、今当たり前となっている栄養バランスなんてものは考えられることもなく、お腹を満たすことが大事でした。
白いお米はとても貴重な食べ物で、
今人気の雑穀米ではなく、真っ白なご飯が贅沢だった時代です。
炭水化物でお腹を満たしていました。
現在はどうでしょうか。
2016年。
だいぶ時代は変わりました。
「量より質」の時代です。
自分に必要なエネルギー量、栄養素が分かる時代。
食べたいものが大抵手に入ってしまう私たちはとても幸せですね!
しかしながら栄養バランスは未だに偏っている人が大勢います。
何故でしょうか。
幸せ太りもほどほどに。
そして
美味しい食べ物が溢れているこの時代に、我慢することばかり必死になっているのもいかがなものか。
潔癖症のお母さんが子供を壊血病にしてしまった話はご存知でしょうか。
全ての食材を加熱処理していたことが原因です。
https://doctors-me.com/doctor/endocrine/13/wiki#2
食事をすることの意味をもう一度考えていきたいですね。